Vol.13 舞鶴若狭自動車道建設予定地(1)
1984年(昭和59年)12月19日早朝,私(権兵衛)と友(会長)の二人は,大学の論文の取材のために,高速道路建設に伴って行われている,中世山城などの遺跡の緊急発掘調査が行われている区間を踏査するため,国鉄山陰本線で福知山市(京都府)に向かっていた。
(記憶に頼っているので,誤りがあるかもしれません。あらかじめお断りいたします。)
福知山駅前から路線バスで「近畿自動車道土師川橋」の建設現場に到着,「福知山南工事終点」の立札が立っている。この高速道路の続きが,今回の踏査区域となる。立札を背にして,踏査隊は工事が進められるであろう山中の区間へと足を踏み入れた。これから建設現場を数キロ歩くことになる。
(昼食は福知山駅で購入する予定だったが,バスの時間の関係で買いそびれた。しかし,幸運なことに目的地のバス停の前にお店があり,パンと飲み物などを入手できた。昔ながらの商店だったが,今もあるのだろうか・・・)
土師川橋からしばらくの間は,すでに発掘調査も終わっていたようで,掘削などの工事が行われていた。しかし,現場の脇に発掘の跡を見つけることができた。
しばらく歩くと,発掘現場が広がっていた。高速道路の予定地内のほぼ全域が発掘調査の対象となっていて,この日も調査が行われていた。
調査員さんに話しを聞いて,発掘現場内を見学した。発掘現場には,断りなしに入ってはいけません。見学する場合は,調査員さんの了解をとってください。また,遺跡を勝手に掘ってはいけません。2人とも,そのことを守って見学し,また次の場所へと歩き出した。
(この高速道路の名称について)
この高速道路の名称は,当初は「舞鶴自動車道」でしたが,現在では「舞鶴若狭自動車道」となっています。ただし法定路線名は,「近畿自動車道舞鶴線」であり,当時撮影した工事現場の表示も「近畿自動車道」と示されていました。そのため,このページでは,タイトルは「舞鶴若狭自動車道」を用いますが,本文中は一部を除き「高速道路」と記述します。
※ Wikipediaを参考にしています。
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